2008年01月10日

【 21世紀の国富論 】(著)原丈二 氏

【根本的に必要なのは、新しい産業。雇用を生み出し、人間生活を豊かにするための新しい産業】

シリコンバレーで数々の企業を成功させてきたベンチャーキャピタリスト、原丈人氏の初著作です。これまで主流であったアメリカ流資本システムへの苦言と、今後の新しい市場、産業、会社のあり方を明快に解説している本です。 〜長編です〜

概要

■ 2000年秋のアメリカで起きたネットバブルの崩壊は記憶に新しいが、当時、株式市場の大部分は日々の投機で動いており、株主の多くは短期的に株価を吊り上げて高値で売り抜け、株式売却益を最大化することだけを目的にしていた。

■ アメリカ流のコーポレート・ガバナンスの要は「企業は株主のもの」という考え方にあり、この考え方をつきつめていくと、企業の目的は株主にとっての価値を上げること、すなわち「株価を上げること」になる。結果、短期的に時価総額を上げるのが優れた経営とみなされる風潮が極限まで強くなり、エンロンなどの不正会計不祥事が起こった。

■ このアメリカが中心を担っている資本主義のシステムは、仕組みそのものが疲弊し破綻しかけていることに、もっと多くの人が気づくべきだ。

■ ネットバブルの崩壊後、アメリカの大企業を中心に、リストラによる人員削減や資産圧縮によるROEの向上から株価は確かに向上しているが、それは見せかけのものにすぎない。

■ 日本も、中国経済の成長による特需などで業績を伸ばしている企業はあるが、やはり多くの企業が人員削減など「縮小均衡」における利益の創出を演出しているだけである。

■ これから、根本的に必要なのは、雇用を生み出し、人間生活を豊かにするための新しい産業である。

■ それには、現在のコンピューターの延長線上にある技術改良では不十分で、根本的に異なる発想を基盤とする革新的な技術が必要。

■ そのような技術を生み出すため、会社の仕組み、それを支える資本の仕組みの変革が必要である。


〜新しい資本主義のルール〜

■ 研究開発には、どうしても中長期のコミットメントが不可欠である。そのために資金は、ハイリスクな研究開発の性質を考えると、金融機関からの借入は性質上合わない。また、中長期的な投資を説得する時間を考えると株主割当増資による調達も難しい。やはり、一番適切な資金源は、毎年蓄えてきた内部留保である。

■ 最近のベンチャーキャピタルは、事業計画段階では資金を出さず、製品を完成させた段階でないとダメという、ただの金融業に成り果てている。これは、本来のリスクを見極めてそれを引き受けるというスタンスでなく、リスクを分散するという姿勢によるものである。このようなリスクをとらないベンチャーキャピタルは、「ベンチャーキャピタル」の名前を返上すべきだ。

■ こういった傾向は、ひとつに「行き過ぎた時価会計主義」に起因する。ベンチャーキャピタルへの資金の出し手である機関投資家は、できるだけ時価会計主義による長期リスクを避け、より短期の投資収益を求めるからだ。過剰な時価会計は短期的な利益のみを要求して、研究開発では革新的なものの芽を育てられず、小さな成功ばかりを志向するようになってしまっている。

■ 真剣に研究開発を行い、真の革新的なものを生み出そうとするならば、結果がでるまで最低3〜5年はかかる。もし短期的な株価上昇と引き換えに蓄積した内部留保を配当として分配してしまえば、次の研究開発へ投資することは不可能であり、新しいものを生むことはできなくなってしまう。


〜ストックオプションを見直す〜

■ 「企業は株主のもの」という考えにより、企業の目的は、株主価値を上げること、つまり株価を上げることとし、それを短期的に実現することが優れた経営であるとみなされる風潮がある。一連の会計不正事件の根本的な原因もこの考えに起因する。

■ 本来、企業というものは従業員や顧客、仕入先などを含めたパブリックなものであり、決して株主だけのものではない。しかも、アメリカの大企業の株主の多くは、短期的な株価の上昇を望み、最高値で売り抜けることしか考えていない。

■ このような考え方がまかり通るのは、企業を経営するCEOにも好都合だからだ。なぜならば、CEO自身も、ストックオプションを所有し、短期的な株価の値上がりによる利益を享受しているからだ。

■ よくあるパターンは、新CEOは、就任するや過去の累損を一掃する。そして過去の損失だけでなく、将来でるかもしれない負債までも引き当てる形で特別損失を計上する。これにより株価は大きく下落し、底値を見極めたところで、CEOはじめとする経営陣対象にストックオプションを付与する。その後、経費を削減すれば2〜3年後には自然と利益が上がり、「見せかけの再建」を行い、IRを駆使して株価が上がった段階でオプションを行使する。こういう「CEOゴロ」は濡れ手にアワの利益を獲得するが、何かを生み出したかというと、何も生み出していない。

■ そもそもストックオプションは、まだ利益の出ていないベンチャー企業などが、十分ともいえない給与だけでは従業員のやる気を維持できないから、社員の自社株を購入する権利を与えるところにある。

■ あとから入ってきたマネジメント・チームがストックオプションをもつのは、本来の目的とズレている。また、日本のベンチャービジネスの中には、オーナー自身がストックオプションを要求するということがみられるが、これも原理原則に反する話だ。

■ 公開企業におけるストックオプションは廃止すべきである。この制度があると、経営陣が目先の株価を上げるための施策ばかりやるようになり、従業員も優秀であるほど、株価が下がると思った瞬間に辞めていく。株価と短期的な業績をリンクさせるためのストックオプションという概念は間違っているし、時価総額をいくら上げたかで、経営者の優秀さを判断することも間違っている。長期的な安定した発展のためには、上場企業はストックオプションを取り入れるべきではない。

■ 最近日本でも目立ってきた「モノ言う株主」と呼べるファンドの多くは、お決まりのように「企業の所有者」たる株主にとっての価値=株価上昇の経営を要求する。経営体質の改善を訴え、結果として時価総額を上げるという一見もっともらしく聞こえるが、良く考えると本質的な矛盾を含んでいる。彼らの言うように、資産をスリム化し、内部留保を配当として吐き出してしまえば、企業はリスクが高くても必要な研究開発や思い切った中長期の投資ができなくなる。中長期にわたる経営を考える上で大切な意味をもう内部留保が、「モノ言う株主」にとってはどうでもいいのは、本当に意味での企業価値など考えていないからだ。「企業価値の最大化」という主張を隠れ蓑に、実際は短期の売り抜けが最大の目的なのである。

■ この手のファンドを封じ込めるには、「短期での売却」という彼らのインセンティブを消し去る仕組みを作ればいい。「モノ言う株主」として経営に関与する以上、すぐには株式を売却できないようにするといった法制化が肝要である。少なくとも5年の保有を義務づけるべきだ。


〜新しい技術がつくる産業〜

■ 自動車、エレクトロニクス、半導体など、形があり、手で触れることができ、目で見ることもできる工業製品を「物的工業製品」、ソフトウェアー、通信技術、バイオテクノロジーといった、はっきりと目に見えない、形もない、手に触れることもできない工業製品を「知的工業製品」と呼ぶ。

■ 21世紀の新しいタイプの産業を生み出していく上で、「物的工業製品」から形のない「知的工業製品」への移行という大きな転換があることを理解する必要がある。

■ パソコンは普及したが、スイッチを入れてから使えるまで起動時間がかなりかかるし、アプリケーションの不具合が出ることもしばしばである。だから、人間が機械(パソコン)に合わせないことには使うことができない。

■ これからは、「機械が人間に合わせる」ための方法を考えることが、次の基幹産業を生み出すための核になるはずである。

■ 人々にとって、もっとも使用頻度が高く重要視されているのは、ブログやEメールに代表される「快適なコミュニケーション」である。

■ これまでのコンピューター業界は、演算速度を上げることとメモリーの増強を追求してきたが、これからはこのような「計算能力」を中心とした考え方から、「相互コミュニケーション機能」を中心にした発想が、新たな産業を興すであろう。


■ コミュニケーションに基づいた次世代のアーキテクチャをPUC(パーベイシブ・ユビキタス・コミュニケーション)と呼ぶ。これは「使っていることを感じさせない、どこにでも偏在し利用できるコミュニケーション機能」のことである。パソコンからPUCへという流れはすでにアメリカで始まっている。

■ このPUCの特徴は、コンピューターと違ってハードとソフトを分けることができないという点である。ハードとソフトの設計が互いに依存し合い、密接に入り組んでいる。この一体化がもたらす意味は、これまでソフト産業ばかりを重視してきたアメリカ企業より、モノづくりに長けた日本企業の優位性が高まるということである。このPUCを日本がリードしていく可能性がある。


〜新しい会社のガバナンス〜



■ アメリカの企業では、経営において重要な判断を行なう委員会を牛耳っているのは、社外取締役である。日本企業とアメリカ企業を比べると、取締役会の構成に大きな違いがある。日本では従業員から上がってきた人たちが取締役となり、ほぼ全員が内部からの昇進者である社内役員が占めている。これに対し、社外役員という、株主を代表する取締役が半数以上占めている場合が多いのがアメリカ企業である。

■ この社外取締役は株主を代表する役員なので、社長の意に反する発言をして解任されることはない。仮に社長がそのような理由で社外取締役を更迭するようなことがあれば、ただちに社外取締役会が召集され、社長のほうが首を切られてしまう。この株主利益を代表する社外取締役が半数以上いる限り、不正な会計は起きないだろうと考えられていたのが、アメリカ資本主義社会のコーポレート・ガバナンスである。

■ しかし、実際の上場企業では、社外取締役を選んでいるのはCEO自身であり、自分の息のかかった人物をつぎつぎと取締役にしている。このような社外取締役を、英語で「クローニー・ボード」と呼ばれ、本来の経営者をチェックするという役割を果たしていないケースがある。

■ 要するに、社外取締役を置くか置かないかなどといった「形」からコーポレート・ガバナンスを考えても限界があるし、やはり大切なのは経営している人々の理念なのである。


〜ベンチャーキャピタルと創業企業〜

■ 新しい時代の企業が、中長期の視野に立った経営を行なうために、ベンチャーキャピタルの役割は大きい。その役割は、単に新しい技術を見極め、そこに資金を投じるだけではない。資本政策、人事、営業活動なども支援し、あたかも「事業持ち株会社」のような役割が必要とされてくるだろう。

■ ほとんど何もないゼロの状態からはじめるベンチャーの技術開発においては、大きく2つのリスクが存在する。1つは、本当に開発した技術が動くのかという「テクノロジーリスク」。2つ目は、開発が成功した後、その製品が実際に市場で受け入れられるかという「マーケットリスク」。特にリスクが高いのは、1つ目の「テクノロジーリスク」段階にある企業である。

■ スタートアップの段階におけるベンチャーキャピタリストは、投資というより、共に会社をつくるといったスタンスに近いもの。創業経営者が共有できるビジョンの持ち主であり、それを実現できる技術をもっていて、何があっても実現させようという情熱がないと、とてもリスクと手間をかけて事業を共に創り上げていこうとしないだろう。

■ だから、ベンチャーキャピタリストは、やはり創業者のビジョンを観るべきである。世の中は変わるという本質をつかみ、新しいビジネスモデルを提唱するのがベンチャー企業の創業者であり、そんな起業家には、多くの人が信じなくても必要な資金を提供するのが、かつてもアメリカのベンチャーキャピタルであった。

■ よく指摘されるのは、日本には保守的なベンチャーキャピタルしかないという点。有名な金融機関系列のベンチャーキャピタルの投資行動は、やはり融資に近い保守的な傾向をもっている。そんな会社にスタートアップのベンチャービジネスへ投資しろというのは無理な注文である。金融機関系のベンチャーキャピタルは、後期ステージのベンチャー(テクノロジーリスクでなく、マーケットリスクを抱えた企業)に投資するのが本来の姿である。

■ したがって、新たに創業したベンチャー企業に継続的に投資支援ができ、かつリスクに見合うリターンを出すことができる、まったく新しい仕組みをつくりが必要がある。

■ そこで提案したいのが、「リスクキャピタル」という仕組み。 大きなテクノロジーリスクの存在する初期段階にある技術に対して積極的に投資を行い、これを成功に導いていく。

■ このリスクキャピタルの元となるのは、複数の「事業会社」が集まって新基幹産業を目指し設立する基金(機構、または特別目的会社)によるもの。各社が研究開発費として計上している資金の一部を毎年提供することによって、数百億円単位のリスクキャピタルができるはずである。「外部にある研究開発部門」という位置づけで、自社内部の研究開発とのあいだで協調的な緊張関係をもたせることで技術力を向上させることができる。これにより、リスクキャピタルという仕組みは、事業会社の投資と積極的な関与によって、ベンチャー企業における新技術の製品化を促すという役割を果たすというものである。


〜これからの日本への提言〜

■ インターネットには、世界のどこにでも無限のビジネスチャンスがあるといえる。なぜなら、インターネット上の応用技術やサービス業は、その国の文化、習慣、法律などに大きく依存しているからである。テクノロジーの核さえあれば、それぞれの国が「知的工業製品」分野の製造業やサービス業を独自に発展させることができる。

■ 日本の場合、アメリカで生まれたビジネスモデルをコピーして、表面的になぞっているにすぎない製品・サービスが圧倒的に多い。だが、インターネットのサービス業にしても、強いテクノロジーとビジネスモデル・特許に基づいて展開しなければ、突如としてビジネスがひっくりかえこともあり得る。

■ さまざまな可能性をもつインターネットの情報の入り口として、「PCからPUCへ」、「コンピューターからポスト・コンピューターへ」という変化が起こりつつある。そして、計算機能のためにつくられたコンピューターは、2015年頃までには主力情報端末としての座を失うであろう。

■ コンピューターに代わる新しい基幹産業の中心をなすであろうPUCは、日本がこれまで培ってきたさまざまな財産や条件を有利に利用することができる性格を有する。

■ このコミュニケーション機能の利用を重視したPUCの構想は、ブロードバンドのインフラがないと実用化できない。そういう点では、大規模な光ファイバー網が整う日本には、格段の強みがある。

■ またPUCは、従来のコンピューターと異なり、ハードウェアーとソフトウェアーを分けることができない。そこで、製造業のさまざまなノウハウをもつ日本こそが、きわめて複雑なハードとソフトの融合を実現する力をもつ世界随一の国である。

■ PUC技術は「人間が機械に合わせる時代」から「機械が人間に合わせる時代」への質的変化をもたらし、最終的には人が住みやすい社会を実現するためのもので、実は日本人はその必要性を直観的につかんでいる。「機械の使い勝手をよくしたい」という発想は、「ロジック」のアメリカ人にはまず真似できないものなのである。

■ このような理由から、日本がポスト・コンピュータ時代の基幹産業においてイニシアティブをとる可能性が極めて高い。そのために日本は、率先して長期的な視点を取り戻す必要がある。前述した事業会社が中心となって新しい産業をつくりだす、「リスクキャピタル」といった仕組みがそれを促すだろう。

■ もちろん新しい産業は何もPUCだけはない。ただ私たちがしなければならないのは、大きな広がりをもつ新しい技術をつぎつぎと生みだし、育てていくことである。これから日本が再び活力を取り戻す上でも、たくさんの企業が新しい技術を生み出していけるような長期的なビジョンをもつ必要があり、また、そのためのさまざまな制度を変えいく必要があるだろう。

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経営手法にしても、ビジネスモデルにしても、アメリカの方が進んでいるから真似ようという発想は、よくある傾向だと思います。本書は、それに対し強く警鐘を鳴らしています。アメリカ流の短期的なROE至上主義のようなものに対して、私自身もアメリカ企業で働いていた時、苦労した経験が何度もあります。本書を読んで、なんとなく思っていた違和感が、構造的に理解することができました。

現在の資本主義、会社経営の矛盾点を指摘し、また技術的な視点でも今後の新しい産業の可能性を論じているところは、数多くのビジネスに対して世界のフィールドで関わってきた著者だからこそ書けるものであり、稀有かつ貴重な視点と感服しました。内容がぎっしり凝縮された読み応えがある書籍です。

posted by IZ at 02:06| 書籍